降りてきた意味

音楽や芸術ほか

自己紹介

「こんな事して何になる?不要では?」
と思ったり、
「自分を知ってもらった上で、
他の記事を読んでもらった方が良いのかな?」
とか、結論でないまま見切り発車です(長文)

 

 

<幼少>
歌が好きで、当時は歌手になりたくて、
歌手の真似をしたり
親戚の子の前で歌ったりした。

 

小学1年の時、同級生の家のオルガンで、
猫踏んじゃった」を教えてもらって1日で覚えて帰った様に思う。

 

教室に足踏みオルガンがあって、放課後、
遊んで弾いていた。

 

自宅の2階の廊下や、部屋の壁の一部に
本がいっぱいあった。
・百科事典の全集や
・小説・物語などの全集が数十冊あり、
・建築の雑誌、そして
クラシック音楽全集が15巻セットで置いてあった。

 

たぶん、親が会社の付き合いで(勧められて)
買ったんだと思う。

 

・百科事典は、
文字は読まず(笑)、絵や図が面白く見てたように思う。
・小説全集は、
しろばんば里見八犬伝家なき子、少公女など有名なのもあった。
小説は苦手で、アルプスの少女の最初だけ読んで終わり(笑)
・建築の雑誌は以外と好きだった。
そこで暮らす様子を想像してるのが楽しく、
木造住宅内部を、絵や間取り図に書き起こすのが好きで、
サザエさんの家の間取りも、小学生の時仕上げてたと思う。
私が生まれる前に親が行った、明治村のパンフレットがあり、
それを眺めてるのが楽しくて、
ライトの帝国ホテルが好きだった。
そして、
・音楽全集。
バロックから近代音楽まで時系列に15巻まであり、
作曲家の内容と曲の解説、楽譜の一部も載ってて、
各巻に、ソノシートという
ペラペラのシングル・レコードみたいなものまで付いていた。
作曲家の文章は、ほぼ全く読まず(笑)、
ソノシートで音楽を聴くのが一番多く、ある時、
何の曲だったか忘れたけど、ピアノの音色に魅了され、
突然、「私も弾きたい!」という思いに駆られ、
母に言って近所のピアノ教室に通わせてもらう事になった。


それが7才、小学2年の時。
「ピアニストになりたい」
と、この頃から思った気がする。


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<ピアノ教室>
家にはオルガンがあった。
『「何が欲しい?」と聞かれたら、すかさず
「ピアノ」と言いたいほど欲しかった』
と言っていた、音楽好きな母が分割で買ったオルガン。
音楽全集は、付き合いでなく
母が購入した(選んだ?)様で、
きょうだいの中で興味もったのは私だけだった。

 

「子は親を選んで生まれる」とスピで言われてるけど、
こういう面で母を選んだのかな、
とも思う。

 

気合い入れるでもなく、普通にピアノ教室通って、
音楽全集に載ってた楽譜の一部弾いたり、
レコード聴いて楽しんでた。

 

小学校高学年になると、ピアノの先生に、
「そろそろピアノ買った方が良い
(オルガンとはタッチが全然違う)」と言われ、
高価なのでかなり躊躇したけど、何とか買ってもらった。

 

練習はあまりちゃんとせず、自分のレベルに及ばない
有名な曲勝手に弾いて遊んだりして、
小1当時、高学年で、一緒に学校行ってもらってた
隣のお姉ちゃんがピアノが上手で、
私が練習し出すと、お姉ちゃんが、
ドビュッシーの月の光や、
メンデルスゾーンの結婚行進曲などを弾き、
それを聴くのが楽しみだった。


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<中学・高校>
勉強以外の(役に立たないと言われる)
音楽(次に美術・体育)が
得意だった。

 

音楽の筆記試験は、いつもほぼ100点で、
音楽の試験前だけ人が集まって人気者だった(笑)。
・友達に頼まれ家に教えに行ったり
・親戚の秀才の子が「音楽だけダメだから
(私と正反対(笑))教えてあげて」と親に頼まれ教えに行った事もある。
(反面、
高校では、数学の点数が1ケタ欠点で
親呼び出されるほどの落差だった。
英語も全くダメ)

 

合唱部に入りピアノ伴奏し、
音楽の歌の試験の伴奏を担当した。

 

音楽高校行きたかったので、音楽(合唱部)の
先生に相談したら、時期が遅かったのか、
「今からなら、一旦高校行きながら
大受験専門の先生の所に通って、音大目指した方が良い」
と言われ、
(学校の)勉強が嫌いで、(音高行かないなら)
中卒でも良いと思ってたくらいだったので、
ピアノ(音大)の為に、仕方なしに高校に行くことにした。

 

高校でも合唱部入ってピアノ伴奏し、
放課後、電車で1.5時間かけて
受験専門のピアノの先生の所に通い、
その先生の紹介で、
高3から、音大の現役声楽家夫婦の所にも通って、
声楽と楽典、聴音を習った。

 

そして音大受験。
学部はムリで、
短大のピアノ専攻も私には難しく、
声楽込みなら、少し易しくなるという専攻に合格できた。


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<音大(短大)>
あれだけ周知してもらえてた音楽得意な私も、
音大入れば、そういう人の集まりなので、
「ただの人」になってしまった。
喜んだのは、入学直後と
音大のトレーナー買った時ぐらい?(笑)

 

受験直前の数回だけ、ピアノを教わった音大の先生が、
そのまま音大でのピアノ実技の授業の先生となり、
入学した途端、スパルタに豹変した。
そこから苦悩が始まった。


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<教職>
自分の実力を知ってるので、
演奏家としては無理なら、音楽の先生だろう。と
教職を取っていたが、
2年目の教育実習が近付こうとする中、
当時、校内暴力全盛で、
義務教育でイヤイヤ学校来て、ましてや
メインでなく好きでもない音楽の授業に来てる
反抗期の生徒の前で
・・そもそも、大勢の前に立つだけで緊張するのに、
そんな私に一体何ができる?
と恐くなった。
2年目、教職を取るのを辞めた。


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<講師>
「音楽はお金にならない」はわかってた。
でも音大に行くのが夢だった。それしか考えられなかった。
「やっぱりお金にならないだろう」
わかってた事に向き合う時が来た。

ほとんどがビアノの先生になる

大手の音楽教室のセールスも来た。
ここでまた対人の壁が出てくる。
習いたいと思って来るんだから
反抗的にはされないでしょう。そう、クリア。
・・でも、今度は
熱心な親が付いてくる。
「この先生に習って大丈夫か」
「きちんと教えているか」
値踏みする。何かあればクレーマーになる?
恐い・・
結局、全く関係ない一般企業に行くことにした。


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<ワープロ>
バイトもしたし、
正社員なったけど倒産したりで、派遣登録。
派遣会社の無料研修で、パソコンを習う機会があり、
そこでエクセルとワードを学んだ。
記憶が前後して曖昧だけど、
ワープロ教室にも通った。

 

「一般企業なら、ワープロ使う仕事」
と決めてた所がある。
それは皆さんが今、当たり前に使われてる
「キーボード」ですね。
これは楽器のキーボードと同じ。
そう、ピアノと似てる。だからやりたかった。
今ではほとんど需要のない、かな入力を好んでしていた。

 

ローマ字はキーボードが3段で26文字、
かな入力は4段で51文字、
文字数少ないローマ字が主流だけど、
母音以外は2文字打つので、
頭の中で変換するのが私には負担になる。
それより、

文字数多くても1つ押すとそのままひらがなが表示される、
かな入力の方が、私には合ってる。
何も考えず指が覚えて打てるところがピアノと似てる。
88鍵に比べれば51鍵は全然少ないし、
しかも強弱や感情入れず、怒ろうが機嫌良かろうが
どんなタッチしようが、文字が出て完成。
・・これは、不快に思われるかもしれませんが、
ピアノからすれば、なんと簡単なんだろう!
と感激した覚えがある。
だから習ってる時は、
表現不要なピアノを弾いてる様で楽しかった。


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<コンクール>
ピアノでなくて、
派遣会社主催の「入力スピード・コンクール」
というのがあって、参加したら、
関西で3番?だったかと思います。
営業の人が「県で言えば1番でしょう」
と言ってくれたのが嬉しかった。
1つでも誇りになる事があると、
やっぱり嬉しいし、励みになります。
(スピ学んでから、競争に対して、
あまり好ましくないと認識する様にはなりましたが、
押しのけたり、打ち負かしたりの意識でなく、
自分の励み・張りになるという認識なら、
プラスにも捉えれると思います。)


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<派遣>
キーパンチの仕事。
50分皆一斉に入力、10分休憩という、
学校みたいな環境で、休憩室は、長いテーブル挟んで
向かい合わせの、にらめっこ状態(電車と同じ)。
シーンとした中、誰かの様子観察し、ヒソヒソ・・
半年契約、体に異変が起こった。(契約満了後回復)


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<転々>
入力が得意という事で、派遣の仕事を紹介されるも、
ほぼ人間関係でつまずく。あとは遅刻。
小規模の派遣会社の社長さんが、良心的で、
「仕事出来るのに」と、せっかくあちこち紹介してくれるのに
・遅刻
・人間関係
で自滅・・


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<引きこもり、ニート>
仕事が上手くいかず、収入も減り、
実家に戻ることになる。
体調も悪く、動けない時もあり
買物依存(通販)、スピに逃避。


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<大人の発達障害>
〇時迄に行く用事があって、
間に合いそうもない?!と焦った途端、
パニック症状のようになったり、

 

外出しようと思うと、鎖にでも繋がれたかの
(引き止められる)様に体が動かず、
これはおかしい。と思って調べたら
発達障害(アスペルガー)」に行き着き、
ショックを受ける。
今までの職場を回想し、腑に落ちる。

 


現在に至る(色々あるけど)
こんな所でしょうか。


ーー◇ーー◇ーー
書く事で、すっかり忘れてたことも引き出し、
自分の回顧録にもなりました。
最後まで読んで頂き、ありがとうございましたm(_ _)m