降りてきた意味

音楽や芸術ほか

それでも生きる〈異端〉

なぜブログを始めたのかを、考え直す

良い機会になりました。

 

 念は、

集合意識が重なれば発生する(強くなる)ので、

誰にでも素養はあります。ただ、

確かに私は念が強いようです(電気系統ほか)

なので、

好きな思いも、フォーカスを薄めるよう、

気を付けたいと思います。

 

こういう、変なこと言う私は、

冷笑されるだけだとわかったので、

もし、繋がれたとしても

「あの人、変だよね」

で終わる可能性も高いでしょう。

 

では何のためにブログしてるのか?

 

今は、音楽を語っても、特にクラシックは誰も見ない。

本屋の音楽雑誌のコーナー行けばよくわかります。

ほぼ全くない店も多い。

楽器経験あるなら「語るより実践しろ」

マウンティングも考えられます。

 

逆に、

別分野の話題(首突っ込む)をすると、

関連する人が引寄せられ、

ネガ(否定)受け取る頻度も増え、

エネルギー消耗してしまうと気付いたので、

人気がなくて、ちょうど良い気もします。

 

いいねや、数の原理の「評価経済」は、

私には当てはまりにくい気がします。

これは卑下でも自己憐憫でもありません。

自分なりの分析です。そして

芸術と資本主義も、

交わりにくいのかも知れません。

 

ブログは、

見えない存在からの促しで、

テクノロジー相当苦手な私が、

やっと辿り着けた場所。

ネットの世界に足を踏み入れたのは、

「それでもプラスに働く」

からでしょう。

 

反応が秒速で広まる時世の対策は、

流れを受け入れながらも

「自分の軸をブレさせない」

出来るかどうかは別として、閲覧は厳選し、

読者あるなしに捉われず、淡々と、

発信していけるのが理想かも知れません。

 

やりたい事(鑑賞含)、

タイミングも重要で、

させてもらえない時期もありました。

ようやく、何とか進めそうになってきた。

 

お金になるかとか、どうなるか

全くわからない。

目の前のこと

練習に励みたいと思う。自分なりに。

私の残された、本来の道